新世紀エヴァンゲリオン-if-

 外伝 六 プレストーリー 家 族

 - その 2 -


 「……二人? あなた、何を言ってるんですか! シンジとレイを引き
 取って四人で暮らします!

 予想もしなかった答えに驚愕するゲンドウ。それは、内心、

 『今日から新婚生活の続きをしよう。ムフフ、もうすぐだよ、ユイ

 などと甘い期待を抱いていた彼にとって、まさに青天の霹靂だった。慌てて抗議
 する声にも動揺の色を隠せない。

 「ま、待て、ユイ。私は夫婦水入らずの静かな生活をだな……」

 「それを言うなら親子水入らずでしょう。それとも、子供は邪魔だと
 でも言うおつもりですの? あなたそれでも人の親ですかっ!?」

 「し、しかしだな、シンジは葛城三佐の所で元気にやっているのだし、何もわざわざ
 一緒に暮らさんでもいいだろう?」

 蒼ざめた顔に冷や汗を浮かべるゲンドウ。もはや泣く子も黙る、特務機関ネルフ
 最高司令官としての顔ではなく、妻の尻に敷かれる冴えない亭主の顔
 なってしまっている。彼にとってせめてもの幸いは、この場に居合わせた者が冬月
 一人しかいない事だった。

 勝利を確信したユイは、ここぞとばかりたたみかける。

 「それとこれとは話が別です! 葛城三佐には私の方からお礼を
 言っておきますが、シンジは絶対に引き取ります!」

 「しかし、葛城三佐が認めるか……」

 「認めるも認めないもありません、私はシンジの母親です!
 親が恋しい時期に側についていてあげられなくて、散々辛い思いをさせてきたん
 です。今までの分まで埋め合わせをしてあげなくては私の気が済みません!

 ゲンドウは答えに窮した。救いを求めるように冬月の方に眼を遣ったが、冬月が
 間違いなくユイに味方するであろう事は、その表情を見れば明らかだった。
 観念したゲンドウは、遂に折れた。それは彼がこの椅子に座って以来、初めての譲歩
 だった。

 「わかった。シンジは私にとっても大事な息子だ。引き取る事にしよう。しかし、
 レイまで引き取る必要は……」

 しかし、ゲンドウはその続きの言葉を飲み込んでしまった。ユイの眼差しが更に
 鋭さを増し、爛々と輝き始めたからだ。その眼光には見覚えがあった。それは紛れも
 なく第十四使徒ゼルエルとの戦いで再起動した時の初号機の眼と同じ輝きだった。

 ゲンドウはあの時目の前で展開された凄惨な光景を思い出し、胃を鷲掴みにされて
 握り潰されたような感覚を覚えた。既に全身の震えは止めようもなく、視線を逸らそう
 にも両眼は魅入られたように動かない。

 もはやヘビに睨まれたカエル状態のゲンドウに、ユイは更に追い打ちを
 掛ける。それは、ユイの正義感の強さ、論敵を圧倒する舌鋒の鋭さを誰よりもよく
 知る冬月でさえ、思わず慄然とするような激しい糾弾の言葉だった。

 「あの子は……レイはあなたに利用されるためだけに造られ、まるで実験動物の
 ような扱いを受けながら、家族の温もりも人との触れ合いも知らないまま育ったん
 ですよ……。

 おまけに、あんな独房のような部屋に一人で住まわされ、人間らしい心を持つ事も、
 友情や恋を育むことも許されず、あなたの意のままに動く生身の人形として生かされ
 続けるなんて、死ぬ事さえできないなんて、そんな、そんなむごい事、許される
 はずがありません! 例えあの子が許してくれたとしても、私は絶対に
 許しません!! 出生はどうあれ、それはあの子には何の責任もない事。
 あの子にだって人間らしく生きる権利があります! 幸せになる
 権利があります!

 人類補完計画への供物として、エヴァのパイロットとして、ダミーシステムの
 『パーツ』として、そして最愛の妻の身代わりとして碇ゲンドウに造られた少女
 綾波レイ。ユイは初号機の中にいた頃から、人間として愛される事を知らず、ただ
 ゲンドウの命令に従う事が自分の存在意義だと思い込んでいるレイの境遇に心を
 痛めていた。

 そして、シンジが初号機と融合した時、彼がこの少女に寄せる想いを知ったユイは、
 息子の初恋をかなえるためにも自分がレイの母親となって過酷な運命から救って
 あげたいと思うようになり、それがサルベージの成功につながった。そして前日、
 二人の魂がシンクロした際、ユイの精神に流入したレイの意識によって、レイもまた
 シンジに想いを寄せている事を知り、ユイの意志は更に強固なものとなっていた。

 総司令公務室に長く重苦しい静寂が続いた後、ようやくゲンドウが口を開いた。

 「……私の……負けだ」

 こうして秘密結社ゼーレばかりか-彼らは勝手に自滅したのだが-ネルフ最高司令官
 をも無条件降伏させるという離れ業を達成したユイは、かつて多くの男を魅了した
 謎めいた微笑みを浮かべると、静かにゲンドウに歩み寄り、彼の身体をそっと抱き
 締めた。

 「あなたが私の願いをかなえるために人類補完計画を進めてきたことはわかっている
 つもりです。あなたのお気持ちには本当に感謝しています。でも、これからはあの子
 たちの幸せも考えてあげて。もう二度とあんな過酷な運命を背負わなくとも済むよう
 に。せめて、これからは人間らしく生きられるように。私もできる限りのお手伝いは
 しますから」

 ゲンドウの眼鏡の奥に、何かが光った。

 「すまない、ユイ……」





 一方、レイはユイより三時間ほど遅れて目を覚ました。精密検査を終え、制服に
 着替えているレイにリツコが声を掛けた。

 「レイ、ユイさんから伝言よ。今日の夕方司令のマンションに来て欲しいって。
 場所は知ってるわね」

 いきなりそう言われたレイは、その端正な顔に戸惑ったような表情を浮かべながら
 消え入るように小さな声で聞き返した。

 「あの……、それは……命令……でしょうか?」

 リツコはレイの様子がいつもと違う事に気づいた。普段のレイなら表情も変えずに
 こちらの言った事に従うはずだ。

 「いいえ、嫌なら無理に行かなくとも構わないわ。行かないならそう伝えておく
 けど、どうするの?」

 「い……いえ、行きます。あ……あの……、赤木博士……」

 リツコはレイのもじもじした態度に軽い苛立ちを感じた。

 「レイ、言いたい事があるならはっきり言いなさい」

 「すみません。あの、ユイさんは何故……私を?」

 やはりおかしい。リツコの知る限りでは、レイがそんな質問をしてきたのは初めて
 だった。もしかしたらユイの魂とシンクロした事で心に何らかの変化が起きたの
 だろうか。と考える。

 「あなたを夕食に招待したいそうよ。ま、あの人はあなたのお母さんみたいな
 ものだから、遠慮なくご馳走になりなさい」

 リツコはレイの変化に気を取られるあまり、何の気なしにそう言ったのだが、
 レイは『お母さん』という言葉を聞いた瞬間、びくっと震えた。それは、サルベージ
 されたユイを目の当たりにした時、心の奥底から響いてきたあの言葉だった。

 「お母さん? ユイさんは私のお母さんなんですか?

 「もちろん違うわよ。今のはほんの冗談」

 自分らしくもない軽率さに内心舌打ちしながら、リツコは冗談めかしてごまかそうと
 した。しかし、レイは引き下がらなかった。ユイの魂とシンクロした時のショックで
 二人目のレイから受け継いだ魂に封印されていた記憶を取り戻していたレイは、
 二人目のレイがシンジとの交流を重ねるにつれて抱き始めていた、自分は一体何者
 なのかという疑問を押さえ切れなくなっていたのだ。

 「でも、私が気を失ってたのはユイさんの魂とシンクロしたからだって聞きました
 けど……、ユイさんと私にはどんな繋がりが……

 「あなたが知る必要のない事よ!!」

 リツコは、いつもなら自分の指示におとなしく従うはずのレイに『反抗』された
 苛立ちと、『自分と母はユイとその身代わりのレイに勝てなかった』という心の傷
 に触れられた怒りから、声を荒げてレイの質問を遮った。そして、その激しい口調に
 おびえ、悲しそうな顔をしてうつむいたレイに気づき、慌ててフォローを入れた。

 「ごめんなさい、気に障るようなこと言ってしまったようね。とにかく、あなたと
 ユイさんの魂がシンクロしたのは単なる偶然よ。気にしなくていいわ」

 「…………。それでは、今日はこれで失礼します」

 「お疲れさま」

 レイが出ていった後、リツコは膝を組み、愛用のマグカップでブラックコーヒーを
 すすりながら、ついさっきのレイの表情……それまで見せた事もなかった悲しみの
 表情を思い出していた。

 『レイがあんな悲しそうな表情を見せるなんて……。ごめんなさい、レイ。あなた
 には何の責任もない事なのに、悪いのはあの人と……この私なのに、あなたに八つ
 当たりするなんて……。本当に、ごめんなさい』

 そして、科学者として碇ユイ再サルベージ計画に尽力しながらも、女として心密かに
 計画の失敗を願っていた自分を思った。

 『母さん……、ユイさんが初号機に取り込まれた時も、こんな気持ちだったの
 かしら……』

 いつもはちょうどいい濃さのコーヒーが、この日はやけに苦かった。





 世界各地から命乞い・御機嫌伺いにやって来ていた連中を一人当たり約三十秒ずつの
 面会で片づけたユイは、シンジを連れてネルフ職員専用の売店で買い物を済ませ、
 ネルフ高級幹部用マンションの最上階にあるゲンドウの部屋に着くと、早速十一年
 ぶりの料理に取りかかった。元々大の料理好きだったせいもあり、その鮮やかな包丁
 さばきは長年のブランクを全く感じさせず、毎日葛城家の『主夫』をしているシンジ
 でさえ足元にも及ばない腕前だった。

 そして、出来上がった料理の数々を二人でテーブルに並べている時、玄関のチャイム
 が鳴った。

 チャイムのボタンに内蔵された自動指紋識別装置で来客がレイである事を確認した
 ユイは、リモコンで鍵を開けると、待ってましたとばかりインターホンに向かって
 歓迎の声を上げた。

 「レイちゃん、ちょうどよかったわ。ついさっきお料理できたとこなのよ。鍵は
 開けたから、上がって上がって」

 「は……はい、お邪魔します」

 レイは恐る恐るドアを開け、中に入る。しかし、初めて教室に入るのをためらう
 転校生のような表情を浮かべたまま、玄関でもじもじしていた。心にわだかまって
 いる疑問……自分とユイとの繋がりについての疑問は大きくなる一方だったので、
 どんな顔をしてユイに会えばいいのかわからずにいたのだ。

 レイが入ってこないのでリビングから顔を出したシンジは、レイの様子が昨日までと
 違うことに気づいた。

 「綾波、どうしたの? なかなか目を覚まさなかったって聞いたけど、どこか具合
 でも悪いの?」

 この場にシンジがいるとは思っていなかったので戸惑ったレイだったが、すぐに
 ほっと安心したように顔をほころばせた。そして、何よりもまず自分の記憶が戻った
 事を伝えなければ、と思った。

 「ううん、何でもないの。それより……あの……私……記憶が……、碇君……出会
 ってから……私の心……気づくまでの……記憶が……」

 話しているうちにシンジへの想いで胸がいっぱいになってしまったため、言葉が
 思うように出てこない。しかし、それでもシンジを驚喜させるには充分だった。

 「記憶? ひょっとして、思い出してくれたの!? 僕との事……みんなとの
 事……」

 「そうなの。私……思い出せたの

 「よかった……綾波……本当に……よかった……」

 レイの記憶が戻った喜びに声を震わすシンジの脳裏に、二人目のレイと共有した数々
 の思い出がフラッシュバックし、思わず目に涙が浮かぶ。その右手を、レイの繊細な
 両手がそっと包んだ。彼女の声も少し震えている。

 「私も……嬉しい。碇君とのこと……思い出せて……、碇君への想い……取り戻す事が
 できて……、とても……嬉しい……」

 そのまま二人だけの世界モードに突入しかけるシンジとレイ。しかし、
 使徒との戦闘及び葛城家や第一中学校2年A組で展開される数々の修羅場をくぐり
 抜けて鍛えられてきたシンジの勘は、リビングから二人を見ているユイの視線
 気づいた。

 「母さん! 何見てんだよっ?」

 シンジは長湯し過ぎてのぼせ上がったような顔になりながら抗議したが、ユイは余裕
 で受け流す。

 「あ、二人とも照れてないで、そのまま続けて続けて」

 はっきり言って役者が違う。シンジはそれ以上の追求を断念せざるを得なかった。

 「あ……あの……はじめまして。綾波……レイです」

 「いらっしゃい、レイちゃん。今日はご馳走作ったから、遠慮しないでいっぱい
 食べてね」

 消え入るような声で挨拶するレイに、ユイは満面の笑みを向け、緊張を解きほぐす
 かのように気さくな声を掛ける。一方のシンジはこみ上げてくる恥ずかしさを必死に
 こらえながら、照れ隠しのためそっぽを向いたままで口を開いた。

 「と……とにかく、今日はゆっくりしてってよ。ったく、母さんたら張り切りまく
 って、とても食べ切れないほど料理作っちゃってさ。見てくれよ、このテーブル」

 リビングの中央に鎮座するオーク材の重厚なテーブルには、質、量ともに豪華絢爛
 な料理の数々が所狭しと並べられていた。レイは見た事もないご馳走の数々に、
 思わず感嘆の声を上げる。

 「すごい……」

 「大丈夫、あなたたちは育ち盛りなんだから、このくらい平気で食べちゃうわよ。
 その前に、二人とも手を洗ってきなさい」

 「あ、はーい。綾波、洗面所こっちだよ」

 「う、うん」

 手を洗った二人がリビングに戻ると、ユイはテーブルのシャンパンの瓶を手に
 取った。

 「さ、まずは乾杯よ! シンジ、あなたが音頭を取って」

 「うん。それじゃあ、母さんの再生と、綾波の記憶回復を祝して、乾杯!

 「「「かんぱーい!!!」」」

 手にしたシャンパンを飲み干す三人。ミサトとの同居生活でアルコールへの耐性を
 身につけていたシンジは平気だったが、飲み慣れていないレイは全身桜色に染まって
 しまった。

 「碇君、私……熱い、体が……熱いの」

 制服のシャツのボタンを外し出すレイを見たユイは、内心にんまりしながら、慌てた
 ふりをして立ち上がりかける。

 「あらあら、あなたにはまだお酒は無理だったかしら。今ジュースを持ってくる
 わね」

 そして、テーブルに両手をついたままシンジの方に視線を向け、にた~っ
 笑った。

 「でも、レイちゃんのお肌は透き通るように白いから、酔うとますます綺麗になる
 わねえ。羨ましいいわ。ね、シンジ」

 「な、何言ってんだよ母さん! からかわないでくれよ!」

 うわずった声で抗議するシンジに、ユイは悪戯っぽくウインクをすると、そそくさ
 とキッチンに消えた。つられて立ち上がりかけた腰を椅子に戻したシンジの耳に、
 レイのなまめかしい声が聞こえる。

 「碇君、ほんと? 私……そんなに……綺麗なの?」

 体温が二~三度上がったような感覚を覚えて振り向くと、そこには胸元を
 はだけたまま、けだるそうな目つきでこちらを見つめるレイがいた。

 それまでレイにはあまり色気を感じなかったシンジだが、この艶姿を見たとたん、
 全身の血が沸騰したような錯覚に襲われた。

 心臓の鼓動が爆発的に加速する。

 「う……うん。とっても……綺麗……だよ……綾波」

 レイはシンジの肩にもたれかかると、耳元で囁いた。

 ありがとう。嬉しい……。碇……く……ん……

 レイの熱い吐息がシンジの耳たぶを、首筋をくすぐる。

 あ……あ……あや……なみ……

 シンジは、沸き上がる欲望抑えられなくなっていた……


 <つづく>


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