新世紀エヴァンゲリオン-if-

 外伝 六 プレストーリー 家 族

 - その 3 -


 あ……あ……あや……なみ……

 もはや煩悩が大暴走する寸前のシンジ。

 そこに、ジュースとコップを手にしたユイが戻ってきた。

 「あら、お邪魔だったかしら、ごめんなさいね」

 ニヤニヤしながらそう言うと、わざとらしくキッチンにUターンしかける。
 シンジはかつて経験した事がない程の恥ずかしさに心臓がのた打ち回るような感覚を
 味わいながらも、何とか弁解しようと試みた。

 わーーーっ!! 母さん! 違う、違うんだよぉ!!」

 しかし、この状況では何を言っても説得力はゼロである。すべては二人の仲を進展
 させるためにユイが仕組んだシナリオだった。

 恐るべし、碇ユイ。



 一時間後、三人はテーブル上の料理を見事に平らげていた。レイの好みに合わせ、
 野菜、卵、大豆製品中心の献立だったが、肉抜きのメニューにありがちな物足りなさ
 を微塵も感じさせない品々だった。特にそれまで手の込んだ料理に縁のない生活を
 送ってきたレイにとって、こんなご馳走を味わうのは初めての経験だった。

 「ごちそうさまでした。ユイさんのお料理、とっても美味しいかった」

 「ごちそうさま。母さん、綾波の言う通り、本当に美味しかったよ」

 「そう? 喜んでもらえて嬉しいわ。何しろお料理するの十一年ぶりだったでしょ。
 正直言って不安だったのよ、腕が落ちてるんじゃないかと思って」

 「腕が落ちてるなんてとんでもない。こんな美味しい料理食べたの初めてだよ、
 母さん。ね、綾波」

 「うん。今日は本当にありがとうございました」

 「あらあら、二人ともお上手ね」

 その時、シンジはレイが肉嫌いだという事をユイに話した覚えがない事に気づいた。

 「ところで、母さん。どうして綾波が肉嫌いだってこと知ってるの? 僕は話して
 ないはずだけど」

 「それはね、昨日私がサルベージされた時、レイちゃんと私の魂がシンクロして、
 レイちゃんの意識の一部が私の心の中に流れ込んだの。だから、レイちゃんの
 好みのタイプは大体わかっちゃったのよ」

 そう答えると、ユイは意味ありげな微笑みをレイに向けた。故意に『好みのタイプ』
 という言い回しを使ったのだが、男女間の事についてはまるっきりうぶな二人は
 その意味に気づかない。

 『ま、いっか。それが二人の微笑ましい所なんだし、先は長いんだから焦ることは
 ないわね』

 ユイは内心苦笑したが、すぐにそう思い直すと、更に話を続けた。

 「それとね、シンジ。レイちゃんの性格が何か変わったとは思わない?」

 「あ……そう言えば、何となく恥ずかしがり屋になったような……」

 「それも昨日の事が原因なのよ。私も十四歳の頃は内気で恥ずかしがり屋さんな
 女の子だったから、その辺がレイちゃんの人格の中の空白だった部分に移植され
 ちゃったのね。今のレイちゃん見てると、あの頃の私を思い出すわぁ。
 ああ、いいわねえ、青春……初恋……

 瞳を潤ませて完全に自分だけの世界に入っているユイを見て呆然とするシンジ。
 しかし、その言葉を聞いたレイは表情を翳らせてうつむいた。

 『私が……十四歳の頃のユイさん……、私……誰? ……私……ユイさんの……
 何?』

 そして、再び顔を上げると、思いつめたような視線をユイに向けた。

 「あの……実は……ユイさんに……教えてほしい事があるんです」

 「なあに? レイちゃん」

 ユイは僅かに首を傾げ、相変わらずの陽気な口調で聞き返したが、その目は笑って
 いなかった。レイはユイの視線を受けると、その瞳の中に吸い込まれそうな錯覚を
 感じた。一瞬ためらった後、何かを決意したようにユイを見つめ直し、目覚めて以来
 心の中に渦巻いている思いのたけを吐き出した。

 「私は誰なんですか? 私は一体何者なんですか? 私と……ユイさんには
 どんな繋がりがあるんですか?」

 それは低く小さな声だったが、シンジの耳には叫び声のように感じられた。
 恐る恐る振り向いたシンジは、レイの鬼気迫る形相に戸惑った。

 「綾波、どうしちゃったんだよ、いきなり」

 しかし、レイはシンジの問いに答える事なく、視線をユイに向けたまま話し続ける。

 「私、人間には家族という『絆』がある事を、学校に通うようになるまで知りません
 でした。その事を知った後も、私には縁のないものだと思っていました。私はもしか
 したら人間じゃ……ないのかもしれないと思って……。でも、今日、赤木博士に
 『あの人はあなたのお母さんのようなもの』って言われたんです。
 博士はそれ以上教えてくれなかったんですけど、ユイさんと私の魂がシンクロした
 って事は、何か繋がりがあるんじゃないかと思って。それに、私何となくユイさんに
 似ているし……。ごめんなさい、こんな事聞くのは失礼だってわかってるんですけど、
 私、どうしても知りたくて……」

 レイの話を聞き終えたユイは、しばしの沈黙の後、静かに答えた。

 「そう、それじゃ教えてあげる。レイちゃん、赤木博士のおっしゃる通り、
 あなたは私の娘なのよ

 「「!!」」

 レイの両眼が驚愕に見開かれる。何か言おうとするのだが声が出ない。シンジも
 あまりの事に口を半開きにしたまま凍り付いている。そこに、ユイが一言つけ
 加えた。

 「今日からね」

 「「ええ!?」」

 見事にユニゾンする二人。そして、しびれを切らしたシンジが抗議の声を上げる。

 「母さん、どういうことだよ!? 母さんが何を言ってるのか分から
 ないよ!」

 「レイちゃんを産んだお母様はもういらっしゃらないけど、今日から私がレイちゃん
 のお母さんになるの。お父さんと話し合って、レイちゃんを碇家の養女……家族と
 して迎える事に決めたのよ。もちろん、レイちゃんさえよければ、だけどね」

 ユイはそう言うと、悪戯っぽく笑った。

 ゲンドウによって造られた少女、綾波レイに母親は存在しない。ユイはその事を
 知っていたが、レイにこれ以上『自分は人間じゃないかもしれない』という苦悩を
 味あわせたくなかったため、敢えて『もういらっしゃらない』という言い方をした。

 その心遣いが通じたかのように、レイの紅い瞳が見る見るうちに輝きを増す。

 「私が……碇君の……ユイさんの……家族に?」

 「そうよ。明日もっと大きな家に引っ越すことになってるから、そこであなたと、
 シンジと、あの人と、私と、四人で家族一緒に暮らすの。どう? レイちゃん」

 レイは僅かに顔を伏せた。

 シンジ達と別れた後一人で帰宅する道を思い出した。

 人の生活の温もりが感じられない寒々しい部屋を思い出した。

 どうしようもない不安に苛まれて眠れない夜を過ごす自分を、窓の外から見つめる
 蒼白い月を思い出した。

 そして、二人目のレイから託された切なる想い……

 『碇君と一緒になりたい』

 という声が心に響いた。

 レイの両眼に涙が湛えられ、そして、あふれた。透明な軌跡を残して白い頬を伝い、
 ほっそりしたあごからしたたり落ち、制服のスカートにいくつもしみを作った。

 「はい。私も……一緒に住みたい……。もう……一人は……いや……。寂しいのは……
 いや……。誰もいない部屋に……一人で帰るのは……もう……いや……」

 「綾波……」

 母は自分の目の前で消えてしまい、父からは捨てられたも同然の仕打ちを受けると
 いう孤独な境遇にずっと耐えてきたシンジにとって、レイの涙は自分の心の痛みでも
 あった。自らの意志でとはいえ、十一年もの間初号機の中にいたユイもまた同じ
 だった。

 ユイは穏やかな微笑みを浮かべると、レイをそっと包み込むかのように優しく
 言った。

 「大丈夫、もう一人であのお部屋に帰る必要はないわよ。今日はここに泊まって、
 明日荷物を運び出しに行けばいいわ。レイちゃん、仲良く一緒にお引っ越ししま
 しょ」

 「それがいいよ。明日は綾波の引っ越し、僕も手伝うよ!

 シンジも大喜びで同意する。レイは二人の心遣いに胸がいっぱいになった。

 「ありがとう……碇君……ユイさん……」

 泣き止んだレイを見て一安心すると、ユイはシンジの方に視線を向け、にたっと
 笑って猫なで声を出す。

 「うふふ、か~わいい妹の前で早速いい所見せちゃって。頼もしいわね、
 お・に・い・ちゃん

 「やめてよ母さん! 何言ってんだよ!」

 「レイちゃんが二度と寂しい思いをしないよう、しっかり守ってあげてね、シンジ」

 耳まで真っ赤になっているシンジを冷やかし半分に励ましながら立ち上がったユイ
 は、テーブルを回ってレイの側に歩み寄り、両腕を伸ばしてその華奢な肩をぽんと
 掴むと、今はこの国から失われてしまった『春』という季節の太陽のような笑顔で
 心からの祝福の言葉を贈った。

 「それじゃあ、これで決まりっと。今からあなたは碇家の……私の娘よ。
 よろしくね、レイちゃん!

 「はい……、こちらこそ……よろしく……お願いします、ユイさん」

 レイはまだ涙に潤む瞳でユイを見つめた。目の前には、自分のすべてを限りなく
 優しく受け止めてくれる母の慈愛に満ちた眼差しがあった。それは、レイが初めて
 感じる家族の温もりだった。

 「レイちゃん、一つだけお願いがあるんだけど」

 「お願い?」

 「私のこと『お母さん』って呼んでくれない? 私、いいお母さんになれるかどうか
 わからないけど、あなたとシンジが幸せになれるよう精一杯がんばるわ。だから、
 ね、お願い。『お母さん』って呼んでちょうだい」

 レイはかつて経験した事のない感情が心の底から沸き上がってくるのを感じていた。
 それはどんどん大きくなり、そして、爆発した。

 「はい! お……かあ……さん……お母さん!!

 レイは生まれて初めて満面の笑みを浮かべた。それは、シンジが思わず息を飲むほど
 美しい、雨上がりの空に架かった虹を思わせる笑顔だった。シンジは先程母に言われ
 た通り、二度とこの笑顔が失われる事のないよう、どんな事があっても必ず自分が
 レイを守ろうと心に誓った。

 なお、夢にまで見た十一年ぶりの甘い一夜を待ち切れずに、いそいそと帰宅した
 ゲンドウだったが、ユイが今夜は娘と一緒に寝たいと言い出したため、悶々と
 して眠れない夜を過ごす羽目になり、心の中で『何故だあぁ~!?』と叫んだ
 そうだ。



 新世紀エヴァンゲリオン-if- 外伝 六 だんだん団らん大混乱 へ続く



 <あとがき>

 はじめまして。利根@tokyo-1と申します。

 先月(98/03)初めてこちらにお邪魔して-if-を拝読し、とっても幸せに暮らして
 いる、世間知らずで無垢で一途で純情な綾波レイに一目惚れして以来、愛読者の
 末席に加えていただいていたのですが、『外伝 六 だんだん団らん大混乱』を
 読んで、ユイさんが生き返ってからレイを家族に迎えるまでの話が読みたいという
 思いが高じて、遂に初めてSSを書いてしまいました。

 タイムテーブルその他、できる限り『外伝 六』と矛盾がないようにしたつもり
 です。ただ、『外伝 六』ではユイさんがシンジ、レイに手料理を振る舞ったのは
 あの朝が初めて、というのが妥当な解釈だと思いますが、矛盾が生じるのを承知で
 敢えてユイさんに料理を作らせました。

 レイちゃんにシャンパンを飲ませたかったのと(^^;)、思いをぶちまけるきっかけを
 作りたかったためです。違和感を覚えられた皆様、申し訳ございませんでした。
 何とぞ御了承くださいませ。


 最後に、この作品を読んでくださった皆様、及び掲載を快諾していただきました
 ゆさく様・尾崎様・加藤様に心よりの御礼を申し上げます。


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