「ただいま……」

 「…………」

 「立派になったわね、シンジ」

 「母さん……」

 「…………」

 「おかえりなさい、母さん」


 新世紀エヴァンゲリオン-if-

 外伝 六 プレストーリー 家 族

 - その 1 -


 最後の使者、渚カヲルがターミナルドグマに消えた翌日、特務機関ネルフ最高司令官
 碇ゲンドウは、渋る赤木リツコ博士を『強引に』説き伏せ、かねてからの念願だった
 碇ユイ再サルベージ計画をスタートさせた。

 そして、それから四週間後、計画は奇跡的に成功し、彼女……碇ユイは十一年の
 歳月を超えてその肉体を取り戻した。

 周囲に歓声が上がる中、綾波レイは無言のまま、その紅い瞳で母子の再会を見つめて
 いた。

 『ユイさん……碇君を産んだ人、碇君の大切な人、そして、碇司令の大切な人……。
 碇君、なぜ泣いてるの? 嬉しいはずなのに、なぜ、泣いてるの? 嬉しくても涙は
 出るの? かあ……さん……? どこかで……聞いた事があるような気がする』

 その時、かつて二人目のレイがシンジと何気なく交わした会話の記憶、零号機の
 自爆と共に消えてしまったはずの記憶が、まざまざと脳裏によみがえってくる。

 「掃除の時さ、今日の。雑巾絞ってたろ? あれって、何かお母さんって感じが
 した」

 「お母さん?」

 「うん。何かお母さんの絞り方って感じがする」

 「……お母さんの絞り方って感じがする」

 「……お母さんの……」

 『お母さん? 私が……お母さん? 私は、ユイ……さん?』

 そして、レイの視界は真っ白になり、意識が急速に薄れていく。

 「どうしたの? レイ! レイ!

 ちょうどレイの真横に立っていたミサトが、崩れるように倒れかかるレイを慌てて
 抱き留めた。

 一方、再生したばかりのユイにも異変が起こっていた。シンジは、突然意識を失った
 母を目の当たりにして、せっかく再会した母がこのまま二度と眼を覚さないのでは
 ないかという恐怖に襲われた。

 「母さん! しっかりしてよ母さん! せっかく会えたのに死んじゃう
 なんて、そんなのいやだよ! 母さん!

 ゲンドウは大方の予想通り、また大方の期待に反して、こんな時でもネルフ最高司令
 官としての顔を崩そうとはしない。

 「問題ない。気を失っているだけだ。おそらく、ユイとレイの魂がシンクロして脳に
 負担が掛かったのだろう」

 さっきから一人複雑な表情をしていたリツコが、あくまで沈着冷静に医療スタッフを
 指揮する。

 「司令のおっしゃる通りよ、二人とも明日には目を覚ますでしょうから心配いらない
 わ。ま、念のため、意識が戻ったら精密検査を受けてもらうけど」

 「そ、そうなんですか? ……よかった……」

 シンジは安堵の表情を浮かべると、その場にへたり込んだ。


 移動ベッドに寝かされたレイが搬出されるのを見届けたミサトは、放心状態のシンジ
 に歩み寄り、いきなりヘッドロックを掛けると、にやにや笑いながら得意の冷やかし
 を始める。

 「シンちゃ~ん、感動的だったわよん。どんな良く出来たドラマでもああは
 いかないわねぇ。日向君、後でビデオのダビングお願いね」

 ゲンドウが表情一つ変えないまま口を挟む。

 「日向二尉、妻に関しては顔のみの映像に限りダビングを許可する。サードチルド
 レンについては好きにしたまえ」

 「了解。シンジ君、アカデミー賞ものの名演技、しっかり見させてもらったよ」

 笑いをかみ殺しつつ、上官と一緒になってシンジをからかう日向。

 「日向君、私にもお願い。シンジ君のお母様って噂以上にお綺麗な方……
 わ、何言ってんだか、わたし……

 一人で照れまくっているマヤの隣では、憎からず思っている同僚の意外な一面
 見てしまった青葉が顔を引きつらせている。

 「あの、そんな恥ずかしいビデオ勝手にダビングしないで…………ぐっ!
 ……ミ……サト……さん……、そん……なに……きつく……締め……」

 結局ネルフの面々のオモチャにされてしまう運命のシンジ。

 そして、第三実験場に笑い声が響いた。

 なお、外見は平静を保っていたゲンドウだったが、やはり内心気が気ではなかった
 らしく、その日の執務を早々に切り上げると、夜通しユイに付き添っていたという。







 「碇ユイの生存が確認されたそうだ」

 「馬鹿な!? 彼女は十一年前実験中の事故で死んだはず。碇の流したデマでは
 ないのか? いかにもあの男のやりそうな事だぞ」

 「いや、私も最初はそう考えたのだが……、同様の情報が複数のルートから入って
 きておる。ほぼ事実と見て間違いあるまい」

 闇の中、『SOUND ONLY SEELE ○○』と記された十二枚のモノリスに光が灯り、
 秘密結社ゼーレのメンバーによる会議が始まった。しかし、この日の会議は、いつも
 とは様相を異にしていた。冷酷非情に事を決する事にかけては絶対の自信を持つはず
 の彼らが、今回は皆一様に狼狽していた。無表情のモノリスが並ぶ空間にも、一見
 してそれとわかる動揺の空気が流れている。

 「おのれ、謀りおったな碇! 死亡したというのは我々を油断させるための
 情報操作だったとは……」

 「そんな事より、この事態にどう対処するかだ。あの女……いや、ユイ様がお怒りに
 なられた時の恐ろしさをよもや忘れてはおるまい。わしなど未だに夢でうなされる
 

 「左様。十一年前の事故の報を耳にした時、どれほど胸をなで下ろした事か……」

 そう、かつてユイがゼーレのメンバーだった頃、キール・ローレンツ議長を始めと
 する他のメンバーは彼女に絶対服従を誓わされ、その足元にひれ伏していたのだ。
 そして、その事を知っていたゲンドウは、ゼーレの諜報員にユイ再生の情報を意図的
 にリークしていた。

 「情報によると、ユイ様はエヴァ初号機からサルベージされたという事だ」

 「最強の使徒と目されていた第十四使徒は、再起動した初号機の前になすすべもなく
 殲滅されたあげく喰われてしまったそうだが……」

 「左様。既に使徒はすべて殲滅された。我々が碇と決裂しかかっている事は周知の
 事実だ。次は間違いなく我々の番……

 彼らの背筋におぞましい悪寒が走る。既にその声は恐怖に裏返っていた。

 「エヴァシリーズを用いて先制攻撃を仕掛けることはできんのか?」

 「不可能だ。既にユイ様の再生を知ったエヴァシリーズ運用担当者及びダミーシス
 テム開発者は全員ネルフ本部に忠誠を誓っておる

 「な……何という事だ。我々が長年進めてきた人類補完計画が発動を目前にして挫折
 するとは……」

 「それどころではないぞ! まずは我々の身の安全を確保することが先決だ」

 「ふっ、誰とは言わんが、既にこの中の複数の者が、他のメンバーの情報と引き換え
 に命乞いをするための急使をネルフ本部に派遣したそうではないか」

 これもゼーレの内部分裂を目論んだゲンドウの情報操作の一環だった。普段なら
 この程度の策略に引っかかる彼らではないのだが、極度の動揺と恐怖は彼らから
 冷静な判断力を奪っていた。

 「何だと!? こうしてはおれん、私も直ちに使者を……いや、自ら出向いて命乞いを
 せねば! ユイ様、どんな御命令でも慎んでお受けいたします。どうか御慈悲を……」

 「人類補完計画はすべて議長めが独断で強行した事でございまして、我々は
 奴に脅迫され、やむを得ず……」

 「待てぃ! 貴様ら私に全責任をおっかぶせるつもりかっ!?」

 しかし、返事はなかった。キール議長が声をうわずらせて抗議している間に、彼を
 除く全てのモノリスが先を争うようにその光を失っていたからだ。

 「む……無念……、だが碇、おまえもいずれ自分の行為の愚かさを思い知る
 であろう。覚悟しておくがよい……」

 そして、議長のモノリスも闇の中に消えた。

 こうして、世界を裏から支配していた秘密結社ゼーレは一日にして自壊し、彼らの
 意図していた人類補完計画は永久に中止となり、サードインパクトは未然に
 防がれた。

 一人の女性によって、しかも彼女本人は何ら関知する事なく。





 翌日、意識を取り戻したユイは、精密検査及びネルフの職員登録-肩書きは『最高
 司令官付参謀』となっていた。誰の意向かは言うまでもない-を済ませると、新調
 されたスーツに身を包み、颯爽と総司令公務室にやってきた。

 「おお、ユイ君、遂に帰ってきてくれたか。サルベージが無事成功して何より
 だった」

 冬月は前日日本政府要人との会議に出席していたため、再生したユイとの対面は
 この時が初めてだった。

 「冬月先生、長年の間主人にお力添えいただきまして本当にありがとうございます。
 夫婦ともども感謝いたしておりますわ」

 思わず顔がほころぶ冬月。前日の会議が深夜まで長引いたため、寝不足気味の冬月
 だったが、ユイの一言で眠気も疲労も綺麗に吹っ飛んだ。

 「なに、これも自らの意志で初号機に残った君の願いを何としても成就させたいと
 思えばこそだ。その上君まで戻ってきてくれて、もう何も思い残す事はない。心置き
 なく隠居できるよ」

 「そんな。まだまだ老け込まれるお年ではありませんわ。これからも何とぞ主人を
 お引き立てくださいますようお願いいたします」

 内心小躍りする冬月だが、さすがにそんな様子はおくびにも出さず、改めて、美しい
 元教え子の顔をまじまじと見つめる。

 「ふ、相変わらずだな、ユイ君。それにしても、君は昔のままだ。とてもシンジ君の
 母親とは思えん。と言っても誰も疑わんだろう」

 「まあ、先生こそ相変わらずお口がお上手ですこと」

 お世辞ではなかった。ネルフに関する怪しげな風説が一般市民に広まるのを防ぐ
 ため、十一年間初号機に取り込まれていた事実が隠蔽され、事故死したと見せかけて
 極秘任務に就いていたということにされたので、戸籍上は三十八歳となっていたが、
 十一年前の姿のままサルベージされたので、肉体上の年齢は二十七歳。しかも歳より
 若く見える顔立ちのせいか、どう見ても十四歳の息子がいるようには見えない。

 余談だが、昨晩日向にダビングしてもらったビデオディスクを見ていたミサトは、
 ユイが自分より『若い』という事実に気づいて愕然とし、ヤケ酒をあおって、
 この日は二日酔い状態だった。

 一方、ゲンドウは内心イライラしながらユイと冬月の会話を聞いていた。ユイは
 サルベージされた時にはシンジとしか言葉を交わしていなかったし、ゲンドウが
 付き添っている間は目を覚まさなかったので、首を長くしてユイが執務室に顔を
 見せるのを待っていたのだが、長年の悲願だった最愛の妻との語らいはまたしても
 お預け状態になってしまった。

 そんなゲンドウには気づかないかのように、二人は昔話に花を咲かせている。
 それでも最高司令官としての立場上、何とかこらえていたゲンドウだが、遂に
 たまりかねて口を開いた。

 「ユイ、昨日サルベージされたばかりで疲れているだろう。もう上がっていいぞ。
 二人の新居には明日引っ越しの予定だから、取りあえず今日は私の部屋で
 休んでくれ」

 しかし、これはゲンドウに平常心を失わせた上で用件を切り出すための
 ユイの作戦だった。

 それまでの和やかな表情を一変させて彼の方に向き直ったユイは、いきなり自分の
 要求を突き付ける。

 「……二人? あなた、何を言ってるんですか! シンジとレイを引き
 取って四人で暮らします!

 ガーーーン!!』 (50t)


 <つづく>


 [その2]を読む

 [もどる]