この物語は、TV版エヴァ弐拾四話の続編。
 もう一つのエヴァのカタチです。


 新世紀エヴァンゲリオン-if-

 第一部 Aパート


 その日、シンジはいつものようにネルフ本部内の廊下を歩いていた。

 そして、『303号室』と書かれた部屋の前で立ち止まった。

 「アスカ、入るよ」

 しかし、中から返事は無かった。

 『アスカ……今日もだめなのか』

 少し悲しくなりながら、シンジは部屋に入っていった。

 アスカは虚ろな瞳で天井を見ていた。時々、思い出したかのようにまばたきをして
 いる。しかし、その瞳に光は無く、シンジが部屋に入ってきた事すら気づいて
 いないようだった。

 アスカが入院してから二十日間、誰が来ても(ドイツから両親が来た時ですら)
 一言も話さず、誰も見ようとはしなかった。リツコの話によると、本人が生きる
 事を拒絶しているのだろう、という事だった。本人が生きる事を望まぬ限り、
 どんな治療も役に立たない。アスカが一番嫌っていた、ただ生きているだけの、
 魂の無い人形、それが今のアスカだった。

 シンジはベッドの横の椅子に座り、アスカの手を取った。驚くほど冷たく、細い
 手だった。

 アスカは何の反応も示さない。青白い肌と肉の落ちた頬が痛々しく、見ていられ
 なくなり、じっと手だけを見つめていた。

 『アスカ……どうして家出なんかしたんだよ。どうしてこんなになるまで……
 どうして……』

 シンジは、これまでの様々な出来事を思い出していた。綾波の死、自分は三人目
 だと言う綾波との出会い、僕の知らない綾波、僕の事を知らない綾波。
 ミサトさんの涙、リツコさんの苦悩、トウジを傷つけてしまった事、カヲル君を
 殺してしまった事、何日も苦しみ、眠れなかった事、みんないなくなってしまった
 事、……そしてアスカの家出と今のアスカの状態。それは十四歳の少年にとって
 あまりにつらく、苦しい出来事の連続だった。

 今、目の前にいる少女の代わりに、自分がベッドに横たわっていても何らおかしく
 はなかった。自分が今、辛うじて平静を保っていられるのは、アスカが自分より
 先に精神崩壊を起こしてしまったからだ。

 『何とかアスカを助けたい』

 その思いだけがシンジの生きる支えになっていた。

 しかし、シンジの心もまた、寂しさや孤独感で一杯だった。アスカのようになれた
 ら、どんなに楽だろうか、と思う事すらあった。

 シンジは、アスカの手を強く握った。

 「アスカ……みんないなくなってしまったよ。僕らの知っている人たちは、
 みんないなくなってしまった。この上、アスカまで僕の前からいなくなるのかい?
 僕を一人にしないでよ。僕を置いていかないでよ。元のアスカに戻ってよ。
 寂しいんだよ……。お願いだよアスカ……元に戻って……」

 シンジは、アスカの手を握りながら泣いていた。大粒の涙をこぼしながら泣き続け
 ていた。それはまるで、母とはぐれた迷子の子供のようだった。

 「……シンジ?」

 名前を呼ばれたシンジは慌ててアスカを見た。アスカは、目だけを動かし、こちら
 を見ている。

 「アスカ! 良かった、僕が分かるんだね……良かった」

 しかし、シンジの喜びは、アスカの次の言葉によって絶望の底に落とされた。

 「……私……まだ生きてるの……?」

 「なっ、何言ってんだよアスカ! まさか死ぬつもりじゃないだろうね!」

 「別に死んだって構わない」

 「どうして!? どうしてそんな事を。一体、何があったんだよ!?」

 「……私はもうエヴァには乗れない。ここにいる理由も無い。誰も私を見てくれ
 ない。生きている理由も無い」

 「そんな事ないよ。エヴァに乗らなくったって、アスカはアスカじゃないか」

 「無敵のシンジ様に、私の事なんて分からないわよ。シンジ一人いれば使徒は
 倒せるのよ。シンジ一人いれば私なんかいらないのよ。エヴァに乗れない私なんか、
 ただの足手まといなのよ……」

 アスカは淡々と話し、そしてまた黙り込んでしまった。そんなアスカを見て、
 シンジは悲しくなった。そして、ゆっくりと口を開いた。

 「……分かるよアスカ。僕も同じだったから」

 「……え?」

 「僕はここに来る前、誰からも必要とされない人間だった。父さんにさえ捨てられ
 た、いらない人間だと思ってた。でも、ここに来てエヴァに乗るようになってから、
 みんな僕に優しくしてくれた。大事にしてくれた。……嬉しかった。
 ……でも、それは僕がエヴァに乗れるからで、僕がエヴァに乗らなかったら、
 ……乗れなくなったら、誰も僕を見てくれなくなる。前と同じように、誰からも
 必要とされない人間になってしまう。だから、僕はエヴァに乗り続けなきゃいけ
 ない、そう考えてた。アスカもそう思ってるんだろ?」

 「…………」

 「でも、そんな時、思ったんだ。エヴァって、僕にとって何だろう? って。確か
 に、ここに来てみんなと知り合えるきっかけにはなった。でも、それだけだった。
 エヴァは僕の全てじゃない」

 「僕は今までに二回、エヴァに乗らないと決めた。でも、そんな僕を、エヴァに
 乗らないと決めた僕を、ミサトさんやトウジやケンスケは心配して見送りに来て
 くれた。ミサトさんはネルフの作戦担当者なんだから、僕を止めなきゃいけない
 立場なのに、僕の好きにさせてくれて、本心まで語ってくれた」

 「エヴァに乗らない僕を見てくれている人はいる。心配してくれている人もいる。
 それが分かった時、嬉しかった……。きっとアスカだってそうだよ。委員長が
 アスカと仲がいいのは、エヴァのパイロットとしてのアスカじゃなく、惣流・
 アスカ・ラングレーとしての、友達としてのアスカだからなんだろ。学校の男子達
 がアスカの写真を買っているのも、アスカの写真だから欲しがっているんだよ」

 「もちろん、僕だってそうさ。最初は作戦のために一緒に暮らし始めたから、
 アスカの事、生意気だとも思った。でも、今は違う。アスカだから、一緒に暮らし
 ているんだよ。……アスカが家出した時分かったんだ。僕にとって、アスカが
 どれだけ大きな存在だったかって……。いつの間にか、アスカはそばにいるのが
 当たり前なんだと思える程になっていたんだ」

 「エヴァに乗るのがアスカの全てじゃないだろ? アスカはアスカじゃないか。
 いつもワガママで、乱暴で、すぐ僕の事をバカにして、……それでも、いつも
 元気で、明るくて、綺麗なアスカ……。お願いだよアスカ、僕の好きなアスカに
 戻ってよ。お願いだよ……」

 そう言うとシンジはうつむき、声を殺して泣いた。

 ……その時、再びアスカの声がした。

 「……シンジ」

 シンジが顔を上げると、信じられないものがシンジの目に映った。

 「……アスカ……泣いてるの?」

 シンジは驚いた。いつも強気なアスカが泣くなんて考えもしなかった。どうして
 いいのか分からず、ただオロオロしていた。しかし、一番驚いているのは、アスカ
 本人だった。

 「私が……泣いてる?」

 子供の頃から絶対的な自信と才能で常に回りの人々を見下し、決して他人に自分の
 弱い所や涙を見せなかった自分が泣くなんて……。そう思い、涙を止めようとした
 が、止まらなかった。涙は後から後から、とめどなく溢れ出てきた。

 そんな時、不思議な感覚に襲われた。泣けば泣くほど、心が軽くなる気がしたのだ。
 心の中の不安、孤独、焦りなどの感情を、涙が洗い流してくれるような気がして、
 とても気持ち良かった。

 『泣く事って、こんなに気持ち良かったなんて……』

 アスカがそう思っている時、シンジはただオロオロしていた。その姿がおかしくて、
 アスカは思わず泣きながらクスクスと笑った。

 「あ、アスカが笑ってる」

 シンジがアスカの笑顔を見るのは数カ月ぶりだった。そんなアスカの笑顔を見て、
 シンジも微笑みを返した。

 アスカは、その笑顔がたまらなく愛しくなった。

 『エヴァに乗れない私を好きだと言ってくれる人。私の事を大事な人と言ってくれ
 る人。私の事を本気で心配して泣いてくれる人。こんなにも素敵な笑顔を見せて
 くれる人。……こんなにも近くに、私を見てくれている人がいたなんて』

 そう思うと、アスカは胸が熱くなるのを感じた。空っぽだった心の中が、急速に
 満たされていくのを感じ、嬉しかった。

 「ねぇシンジ、キスしよっか?」

 アスカは悪戯っぽく微笑んだ。


 <つまずく……もとい……つづく>


 Bパートを一刻も早く読みたい!

 [もどる]