第一部 復活の日々
EVAでは、南極から破滅が始まりました。
小松左京さんの「復活の日」では、南極でのみ人類が生き残りました。
さらに訪れんとする破滅を避けるため、南極を守ろうとする主人公。
EVAでも次に来るべき破滅を避けるために第3新東京市を守ろうとします。
-if-の世界では使徒との戦いが終わった後から物語が始まっていますが、
この点でも、“ちょうどいいな"と思ったわけです。
「日々」にしたのは、3人の複数の点を意識したからです。
あと、本の題名、間違っていたらごめんなさい。
「復活の日」は映画にもなりましたよね。
第二部 うちにおいでよ
本文中のシンジ君の台詞から。
と、思っていたのですが、実際には、そんな台詞はなかったのですね(・・;)
レイから「そばにいたいの…だめ?」って迫られたときに、
シンジが、「いいよ、うちにおいでよ。」てな感じの返事を、
したと思い込んでいたのです。
あ、でもきっとレイはそういって欲しかったんだろうし、
シンジもそれに近いことを言いかけていたから、
“まぁいいや"ということにしておきます。
第三部 そして日常へ
取敢えず、この回で最初の締めになる話。(と思っています)
使徒との戦いという試練を乗り越えた3人が、
幸福に暮らしていけそうな様子が暗示されて終わります。
多少アスカのおかげでドタバタしていますが。(^.^)
ここで、私の脳裏に浮かんだのは懐かしいフレーズの
「こうして王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしましたとさ」
です。
これってお姫様を救い出したときには、必須のフレーズですね。
(EVAでは、お姫様が一人ではありませんが(笑)。)
試練を共に乗り越えて(救い出された)お姫様と一緒に過ごす日々が、
“当たり前の(日常の)ようにずっと続けばいいな“
との思いでつけてみました。
あれだけの(使徒を倒し、2人を救い出す)活躍したシンジ君には、
その位の報いがあってもいいと思うのですけど。
第四部 春の日のように
この回は、ミサトさんとリツコさんが主役の話でした。
この回は、実は-if-の中で一番好きなのです。
期待と不安を胸に玄関へと走って行くミサトさんの様子もいいし、
シンジ達の様子に救われているリツコさんも、なんだかほっとします。
殊に、復讐を止めたと告白するリツコさんの様子がいいです。
心の中のわだかまりが、春の日の雪解けのように消えていくような、
そんな感じがしたのです。
もちろん、加持さんとの再会に、はしゃぐミサトさんも、
春の日を待ち焦がれた木々がいっせいに芽吹き出したような、
そんな感じがして、とってもよかったのです。
冬の終わりを予感させるリツコさんと、
来るべき夏の日々を思わせずにいられないミサトさん。
そんな2人がとても気に入っています。
あと、個人的な思い入れがあって、“おめでたい話は春がいいな"と。
と、そんな三つの理由でこんな題名を思い付いたのです。
あと、ほんとうは、「春の日に」みたいに断言したかったのですが、
EVAでは年中初夏なものですから。
第五部 歩き始めたモノ
この回は、実のところせっかく出てきた2人の印象があまりなかったです。
それよりも、照れてれになっている2人のほうが微笑ましくって(^.^)。
栗本薫さんの「グイン・サーガ」のなかで、
あらゆる誘惑に誘われても毅然とする主人公グインを、魔導師が看破します。
「魂がないのではない。まだ生まれていないのだ」と。
レイにも同じことがいえたのだと思います。
レイの無表情、非感情的な言動は、
自分とその周辺の小さな世界に閉じ困っていたためでしょう。
あるいはまた、トウジとケンスケの指摘通り、
世界(或いは他の人々)を拒絶していたためなのでしょう。
この回で、レイは2人に笑顔を見せることで、
世界を受け入れることが出来ることを教えてくれます。
魔導師の台詞を借りるのなら、
「無表情だったわけではない。ようやく生まれたのだ」と。
そんなわけで、童謡「春よこい」のミヨちゃんの如く、
春になれば(世界が受け入れてくれるなら)、
その一歩を踏み出せるところまできたんだな。
と、そんなレイの様子にちなんでタイトルをつけました。
PS.グイン・サーガの中の台詞が間違っていたらごめんなさい。
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