新世紀エヴァンゲリオン-if- 

 外伝 拾参 、のち、ときめき


 第三新東京市立 第壱中学校 2-A

 シンジは週番のため、一人教室に残って週番日誌を付けていた。いつもはトウジと
 ケンスケが付き合ってくれるのだが、シンジは、『教室が汚れてるから』と掃除を
 始めてしまったため、呆れて先に帰ってしまっていた。

 「ふー、やっと終わった」

 シンジは日誌を付け終わり、教室を見回してみる。ゴミ一つ落ちていない、綺麗な
 教室に満足しているようだった。

 「は~……またやっちゃったか……どうも汚れてる部屋を見ると掃除してしまう
 癖がついたみたいだな……。アスカやミサトさんがだらしなくちらかしているのを
 いつも僕が片づけているせいだなきっと……。トウジやケンスケが呆れるのも無理
 ないか……。さて、雨も強くなってきたし、僕も帰るとするか。傘持ってきて良か
 った」

 そうつぶやくと、職員室に週番日誌を返し、靴箱に向かった。

 雨が降っているので陸上系のクラブは休みだし、シンジはかなり長く掃除をしていた
 ため、もう校内には殆ど生徒が残っていなかった。

 多分、自分が最後だろうな……と思い靴箱に行くと、青い髪の少女がぼんやりと
 外を見つめていた。

 「あれ? 綾波、どうしたの?」

 「碇君? 碇君こそどうしたの、こんな時間まで?」

 「僕は今日週番だったからね、ちょっと遅くなったんだ。それで、綾波はどうした
 の?」

 「雨が降ってるから」

 「え? ああ、傘忘れたんだ」

 「ええ、だから止むまで待ってるの」

 「止むまでって……結構強く降ってるし、いつ止むか分からないよ」

 「いいの。今日はテストも無いし、帰っても何もする事が無いから」

 「それじゃあ綾波、この傘使いなよ

 シンジは性格的に、『それじゃあお先に』と言って帰れるような性格ではなかった
 ので、自分の傘をレイに差し出した。

 「碇君、傘二つ持ってたの?」

 「そうじゃないけど、綾波の家の方が遠いだろ。僕はいいから綾波が使いなよ」

 「ありがとう。でも傘を忘れたのは私のミス。その傘は碇君が使って」

 「え? 綾波、遠慮しなくていいんだよ」

 「いいの、碇君がカゼひいちゃいけないから」

 「綾波だってカゼひくのは良くないよ。あ、そうだ、家まで送っていくよ。
 入って」

 シンジはそう言って傘を開いた。レイはきょとんとしてシンジを見ている。

 「あ、そ、そうだよね。僕と一緒じゃ嫌だよね。やっぱりこれ、
 綾波が使って」

 シンジは真っ赤になりながら、傘をレイに差し出す。

 「別に嫌じゃないけど」

 「本当?」

 「ええ。でもいいの? 碇君、帰るのが遅くなる」

 「いいんだ。僕も帰って特に用があるわけじゃないし。晩御飯の支度まではまだ時間
 あるから」

 「そう、ならお願い」

 「うん、じゃあ行こうか」

 「ええ」

 こうして二人は、雨の中一つの傘に入り、歩き始めた。

 シンジは、レイが自分の傘に入る事を嫌がってるわけではない事に安心し、嬉しく
 なっていた。例えレイがその事を全く意識していないであろうとしても、十分嬉し
 かった。

 レイにとっても、シンジと二人でゆっくり話す事など最近は殆ど無かった事なので、
 本人は意識していないが、微妙に口元がほころんでいた。

 また、途切れがちではあるが、会話というものも二人の間にはちゃんと存在して
 いた。


 しばらく歩いていると、レイは不思議な事に気が付いた。

 『私、どうしたの? こんなに鼓動が早い。……いつもと同じ道、いつもと同じ
 荷物、いつもと同じ歩幅……何も変わらない。なのにどうしてこんなに……。
 いつもと違う事と言ったら、碇君がいる事。傘に入れてくれている事……。だから
 こんなにドキドキするの?』

 そう思い、シンジを見る。すると、シンジの左肩が濡れているのが分かった。

 『やっぱり一つの傘を二人で使うのには無理があるのね』

 そう思って自分の肩を見るが、少しも濡れていない。不思議に思い上を向くと、
 傘は主に自分の上に差しかけられているのが分かった。

 「ん? どうしたの、綾波?」

 「碇君、濡れてる……」

 そう言って、レイは傘をシンジの方に戻す。

 「あ、いいんだ。気にしないで」

 シンジは傘を戻しながらそう言った。

 「でも…………」

 「ほんとにいいから」

 「………………」

 レイは、シンジが自分の事を気遣ってくれているのが嬉しかった。しかし、自分は
 傘に入れてもらっている身。持ち主が濡れていて自分だけ濡れない、という状況が
 正しいとは思えず、どうすればいいのか考えていると、少し前を自分達と同じように
 一つの傘を二人で使っている人達が歩いているのが見えた。ただし、こちらはシンジ
 達と違って、どこからどう見てもアツアツカップル(死語)であり、むしろ雨を
 喜んでいるようだった。

 『あの人達も傘が一つしかないのね。だから濡れないようにあんなにくっついてる。
 でも、一つの傘を二人で使う合理的なやり方』

 そう思うと、レイは早速行動に移した。

 シンジと腕を組み、体を密着させ、頭をシンジの方にもたれかける
 ように傾ける。

 「あ、あ、あの……綾波? ど、どうしたの?」

 いきなりのレイの行動に、シンジは心臓が止まるのではないかと思えるほど驚いて
 いた。

 「こうすれば二人とも濡れない」

 「え? あ、そ、そうだね」

 とりあえず受け応えはしているが、シンジの頭の中は既に真っ白になっていた。

 その後二人は、特にシンジは何も喋らず、緊張しながら歩いていた。

 『不思議……さっきより更にドキドキしている……これも碇君のせい? 碇君に
 近づくほどこうなるのかな……。でも嫌な気分じゃない……どうして? ……碇君
 の腕……細いと思ったけど、思ったより太いんだ……やっぱり男の子なんだ……。
 とっても温かい……なんだか落ち着く……』

 そう思い、さらにシンジにくっつく。

 その行動で、シンジは口から心臓が飛び出すほど動揺していた。

 腕から伝わってくる軟らかな感触と温もり、髪から漂ってくるいい匂いにクラクラ
 していたため、もう随分前に雨が止んでいる事にすら気づかずにいた。普段冷静な
 レイですら、雨が止んでいる事に気が付かなかった。よほどシンジの事に気を取ら
 れていたのであろう。

 「あ、雨止んでる」

 やっとその事に気が付いたシンジは、傘を少し後ろにそらし、空を見ている。

 「え? ほんとだ、気が付かなかった」

 「あ、が出てる」

 『虹……水と光による自然現象……すぐに消えてしまうもの……はかないもの……
 私に似ている……』

 「綺麗だね、綾波」

 『えっ!?』

 シンジにそう言われたレイは、今日最大の……いや、生まれてから最大の胸の高鳴り
 を感じていた。口元がほころび、顔が赤くなっていくのが自分でもはっきりと分か
 った。

 だが、シンジが綺麗だと言ったのは、恐らく虹の事だろうと思うと、途端に悲しく
 なった。

 「ええ、そうね。とても綺麗」

 『虹……碇君に綺麗だと誉められたもの……うらやましいもの……ちょっと嫌い……
 なぜ? ……なぜうらやましいの? ……私は碇君にそう思われたいの? ……だか
 ら碇君に誉められた虹が嫌いなの?』

 そう思い、今日一日の事を考えてみる。シンジと二人きりで一緒に歩いて、胸が
 ドキドキした事、腕を組んでさらにドキドキした事、自分の誤解だが、綺麗だと
 言われてとても嬉しかった事、誤解だと分かりとても悲しかった事……。

 これまで、エヴァに乗るためだけに生きてきたために、男女間の色恋沙汰に全く
 疎かったのだが、今の自分の状況を考えてみると、導き出される結論は一つしか
 なかった。

 『私……碇君の事を……。私にもあったんだ……何にもないと思ってたけど、私の
 中にもこんな感情があるんだ……人を……好きになる事が……私にもできるんだ』

 レイは、自分にはないと思っていた感情が自分の中にもある事が嬉しかった。その
 感情を向けられる人がすぐそばにいて、自分に優しくしてくれる事がたまらなく
 嬉しくて、腕を組んだまま嬉しそうにシンジを見つめていた。

 「あの……綾波、どうしたの?」

 「嬉しいの。碇君が私に優しくしてくれるのがとても嬉しいの。本当にありがとう、
 碇君」

 そう言って、とても嬉しそうに微笑んだ。

 シンジはその笑顔に見とれ、動けなくなっていた。

 その笑顔は、かつて父と楽しそうに話していた時よりも楽しそうに、いつか、エン
 トリープラグの中で見せてくれた笑顔よりも自然に思えた。

 そして、間違いなく言える事があった。

 今、レイがシンジに微笑みかけているのは、シンジが笑うように促したわけでは
 なく、レイが自らの意志で、シンジ一人のために微笑みかけている、という
 事だった。

 シンジは、その事が何より嬉しかった。長い間ずっと手に入れたいと思い続けていた
 ものを、シンジはようやく手にする事ができた。

 そしてレイにとっても、新たな感情、人を好きになる感情、好きな人を手にする事
 ができた。

 人を好きになる。

 ただそれだけの事なのに、レイにとっては劇的な変化が起きていた。これまで、
 自分にとって何の意味もないと思っていた、周りの景色全てが光っているように
 見えた。嫌いだった雨も、シンジと二人きりにしてくれたのだと思い、好きになって
 いたし、先ほど嫌いになった虹も、シンジへの気持ちを気づかせてくれたのだと
 思い、好きになっていた。

 そして、シンジの事が好きなのだとはっきり自覚していた。

 シンジもまた、レイと同じく、全ての物が輝いて見えていた。その中でも、シンジに
 微笑みかけてくれているレイが、最も光り輝いていた。

 シンジとレイ、二人の時が動き始めた瞬間だった。


 追伸。

 この日以来、レイはどんなに雨が降りそうな時でも、傘を持ち歩かなくなっていた。
 再びシンジが傘に入れてくれる事を期待して……。


 新世紀エヴァンゲリオン-if- 外伝 拾参

 、のち、ときめき <完>


 ・ ・ ・


 -if-原稿担当、加藤喜一(仮名)氏による、後書き

 すぐ上の行で、レイは傘を持ち歩かなくなった、と書いていますが、カバンの奥に
 折りたたみ傘を隠してます。シンジが入れてくれなかった時のために……ではなく
 シンジが傘を忘れた時に差し掛けてあげるために……。

 しかし、何か忘れているような…………。

 はっ!? アスカが出ていない!!

 つ、次こそは……。


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