新世紀エヴァンゲリオン-if- 

 外伝 拾 二人のコトバ、溶け合うココロ

 -後 編-


 「綾波は、人間を滅ぼそうなんて思わないんだろ?」

 「ええ。私はそんな事しない。できない。碇君が悲しむような事は絶対にしない」

 「なら、綾波を怖がる必要なんてどこにもないよ」

 レイは自分の耳を疑った。目の前で微笑むシンジが理解できなかった。

 「……いいの、碇君? 私を受け入れてくれるの? 人間じゃないかも知れない
 私を……。ひょっとしたら……使徒……かも知れない私を受け入れてくれるの?
 ……どうして?」

 「受け入れるも何も、さっきも言ったろ? 例え使徒だろうと、人間以上の力を持って
 いようと、人間の心を持っているのなら、人間として生きていくのなら、それは人間
 だよ。一緒に暮らしていけるはずだよ。自分と違うからという理由だけで争って
 いたら、何も分かり合えないからね。そんなの悲しいじゃない。綾波は綾波だよ。
 それでいいじゃない、ね」

 そう言って、シンジは微笑む。

 「碇……君。……あれ、これは涙? 私、また泣いてる……。温かい。こんなにも
 温かい涙を私は流せるの? 私の中にも、こんな感情があるの?」

 レイは、信じられないような瞳で、自分の頬を流れる涙を手に取ってみる。降り注ぐ
 雨とその涙は、まるで別の物のように見えて嬉しかった。

 『碇君が私の事を受け入れてくれる。碇君が人間として生きていいって言ってくれ
 る。私は碇君となら生きられる。人間として生きていける』

 レイはこれまで、自分の事が何も分からないのが不安だった。

 自分が何者なのか分からない事が、いつかカヲルのようにシンジを傷つけてしまう
 のではないかと不安だった。しかし今、シンジに人間として認められた事により、
 全ての悩みは消えていた。

 「碇君、私はたくさんの身体がある。純粋な人間じゃないのかも知れない。ひょっと
 したら、誰かの手で造られた人間なのかも知れない……」

 「綾波、いいんだ。その事はもう言わないで」

 「ううん。私は碇君に知っておいてもらいたいの、私の事を。確かに私の出生は
 はっきりしない。でも、これまで私が生きていた時間、碇君や他のたくさんの人達と
 共に過ごしてきた時間、経験、記憶。私はそれらの物を無くしてしまったけど、
 それらは私になるために必要な物だったはず。今の私が形作られる上で、とても
 大切な物だったはず。それらの物があったから私になったの。だから、今の私の
 気持ち、これは誰かから与えられた物ではないはず。私だけの気持ちのはず。

 碇君と一緒になりたい。

 これは、私だけの気持ち。決して、誰かに与えられたものじゃない」

 「え? ぼ、僕と一緒に?」

 「ええ、それが、私が死ぬ瞬間まで持っていた感情。そして、唯一引き継がれた
 感情。今の私の、たった一つの願い。碇君、私の願い、叶えてくれないの? 私は
 碇君の生きてる理由にはなれないの? どうすれば碇君は生きていてくれるの?
 私はどうすればいいの? お願い碇君、教えて」

 「綾波……そんなに……僕の事を……」

 「私の魂が叫ぶの。私にとって、碇君はとても大切な人。そして、心はこんなにも
 碇君を求めてる……。なのに、私はどうしてこんな気持ちになるのか分からない。
 どうして碇君と一緒になりたいと思ったのかも分からないの……。

 私は、碇君の事を何も覚えていない。
 今の私には、碇君との間に何もない。

 碇君、私をこんな気持ちのまま一人にしないで。私の前から消えてしまうような事を
 しないで。私には碇君が必要なの。私を一人にしないで、お願い」

 「綾波、僕でいいの? こんな僕で、本当にいいの?」

 「私は碇君でなければだめなの。碇君は私の事を知ってる。なのに、恐れず受け
 入れてくれる。私は碇君となら生きていける。ううん、一緒に生きていたい。

 この気持ちを好きと言うのなら、私は碇君の事が好き。

 ずっとずっと一緒にいたい。碇君を愛していたい。碇君に愛されたい。ずっと、私の
 そばにいて欲しい。だから、死んではだめ。死んでは……あ、碇君?」

 シンジは嬉くなり、レイを抱きしめていた。一瞬驚いたレイだったが、そっとシンジ
 を抱きしめる。

 「綾波、僕は生きていてもいいの? 僕はここにいてもいいの? 僕の事を愛して
 くれるの?」

 「うん、死なないで碇君。生きていて、お願い。碇君はここにいていいの。いえ、
 いて欲しいの。大好きな碇君に、ずっと私のそばにいて欲しいの、ずっと……」

 「綾波……」

 「碇君……」

 二人は強く抱きしめ合っていた。互いの腕の中の存在が、温もりが嬉しかった。

 そして抱き合ったまま見つめ合う。

 「綾波、もう生き返る事はできないんだろ?」

 「ええ、多分、私が最後の綾波レイ。私が死んでしまったら、碇君のように、もう
 生き返る事はできない。この世界から消えてしまう」

 「ならもう、あんな事はしないで。自分の命を犠牲にするような事は……。

 僕はもう、二度と綾波を失いたくはない。

 あんな思いは二度としたくない。綾波のいない世界では、僕はもう生きられない。
 だから、自分を大事にして」

 シンジの心が、レイの心を溶かしていく。

 「うん、私も碇君と離れたくない。だから、あんな事はもうしない。だから、守っ
 て。私の事を守って。一人にしないで。死んだりしないで。私も、碇君のいない世界
 では生きられないから」

 そして、レイの心も、シンジの心を溶かす。

 「分かってる。僕はもう死のうなんて思わない。だって、こんなにも僕の事を愛して
 くれる人がいるのに、こんなにも愛する人ができたのに、綾波を残して死んだりは
 しない。絶対に一人になんかしない。ずっと、ずっと二人でいよう。ずっと僕が守る
 から」

 「碇君……嬉しい」

 そして二人は再び見つめ合う。

 自分の存在を認めてくれる人。
 自分が必要とする人。
 自分の事を必要としてくれる人。
 自分を愛してくれる人。
 自分が愛せる人。

 互いの傷を嘗め合い、慰め合うのではなく、一生支え合っていける人。

 今、それが自分の腕の中にいる。

 シンジもレイも、その事が嬉しく涙を流している。そして、そんな二人に言葉は必要
 なく、いつしか二人は唇を重ねていた。それは、将来を、永遠を誓う聖なる誓約。

 その瞬間、シンジの心を覆っていた、絶望、悲しみといったもの、レイの心を覆って
 いた、孤独感、喪失感といったものは、ロンギヌスの槍が雨雲を吹き飛ばしたよう
 に綺麗に消えていた。

 二人は、涙を流しながら口づけを交わし、抱き合っていた。降り注ぐ雨さえ、今の
 二人には温かく感じられた。

 そんなシンジ達を嬉しそうに見つめる、一つの精神体がいた。

 「おめでとう、シンジ君。君達はやっと自分の居場所、存在理由を見つけたよう
 だね。そう、それでいいんだよ。やはり、君達に未来を託したのは、正解だったよう
 だね」

 その精神体の名は、かつて『渚カヲル』と呼ばれていたもの。肉体を失ってなお、
 精神体として存在していた。


 「君達リリンは、僕達の十八番目の仲間。だけど、僕までとは決定的に違う所が
 ある。僕までの者は皆、強力な力と、殆ど不死とも言える命を持っている。だが、
 強力な力を持つが故、自分以外の存在を必要としない、単体として存在している。
 だが、君達リリンは違う。単体ではなく、群れとして存在している。そのため、
 力が分散し、一人一人は何の力も持っていない。百年ほどしか生きられないし、
 すぐに死んでしまうほどもろく、弱い存在だ。

 だが、弱いが故に、一人では生きていけないからこそ、リリンは群れを作る。
 そして、自分以外の存在を大切に思い、自分の事より相手の事をまず考える時、
 愛する者を守るためには自分の命すら犠牲にしようとする時、リリンはとても強い
 力を発揮する。僕達を倒せるくらいにね。だから、僕は君達リリンに興味を持った。
 僕は十七番目だから、ある程度はリリンの事も分かるんだ。だから、もっと知り
 たくなって、ゼーレと接触した。彼らは僕の事を知りたがっていたからね。お互い
 丁度良かったんだ。

 だけど、彼らはリリンである事をやめ、僕のようになりたがっていた。僕には分か
 らないよ。確かに、リリンは愚かな行いが多い。しかし、それを補って有り余る
 ほど素晴らしい物を持っている。リリンの暮らしは変化に満ち、無限の可能性を
 持っている。僕にはそれがうらやましかったのに……。

 僕らは外部の刺激によって急速に適応してしまう。滅多な事では死なない。いや、
 死ねないんだ。何の変化も無い毎日を、死ぬ事もできず、ただ永遠に繰り返すだけ。

 誰が僕達を造ったのかは知らないけど……君達リリンは神と呼んでるね。その神
 とやらが、わざわざ僕達と別な物としてリリンを造ったのなら、あえて同じになる
 必要がどこにあると言うんだ? リリンはリリンの可能性を目指せばいいんだ。

 それなのに、彼らがどうしてこんな物に憧れるのか、僕には分からなくなった。
 だから、シンジ君達に興味を持った。特に、シンジ君の心はガラスのように繊細で、
 好意に値するからね。でも、シンジ君に惹かれた理由がもう一つある。それは、
 シンジ君が普通のリリン達より、僕に近い存在だったからなんだ。君達エヴァの
 パイロットの母親は、みんなゼーレがリリン以上の存在になろうとして実験の被験者
 だったんだ。みんな、何らかの手を加えられている。だから、その子供達も、純粋な
 リリンじゃない。だから、エヴァとシンクロできるんだよ。

 そして、その技術の集大成が綾波レイ。シンジ君も薄々気付いていたようだね。
 なぜ自分がエヴァとシンクロできるのか。初号機と母親の関係、綾波レイとの関係、
 だからこそ、そんなにも簡単に彼女を受け入れられるんだね、きっと……いや違う
 か。例え使徒もいいと言ってくれたシンジ君なら、そんな事関係なく、彼女を受け
 入れただろうね。自分とは異質な物を排除したり攻撃したりせず、理解し、受け
 入れようとする、今のシンジ君の姿が、神とやらが望んだ姿なのかも知れないね。

 僕達は争う事しかできなかった……。そのために、シンジ君には辛い決断をさせて
 しまったんだけれど……。やはり、滅びの時を免れ、生き残るのはシンジ君だった
 ようだね。

 さて、僕はこれからどうなるのかな? 肉体が滅んでも、このまままた無限に存在
 し続けるのかな……。でも、ま、退屈はしないだろうな。シンジ君とレイ、二人の
 子供、その子孫達が造る歴史……きっと楽しいだろうね。

 しかし、さっきはほんとにびっくりしたよ。シンジ君に死なれたら、僕の生き甲斐が
 無くなってしまうからね。でも、もう大丈夫だね。自分が死ねば、悲しむ人がいる事
 をシンジ君は知っている。そして、愛する人が、守るべき人がいるんだ。間違っても
 死のうなんて思わないだろうね。そして、優しいシンジ君の事だから、自分達の事に
 ゆとりができれば、弐号機パイロットの事も助けようとするんだろうね。

 そう言えば、彼女には勝手に弐号機を動かし、傷付けてしまった事を謝っておかない
 といけないな。ま、お詫びと言っては何だけど、シンジ君が来るまでに、元気づけて
 あげよう。今の僕でも、リリンの夢に介入する事くらいできるからね。今のシンジ君
 達の様子を見せれば、少しは反応してくれるかも知れないな。

 リリンは僕達とは違う。百年も経たずに死ねるんだ。そんなに慌てる事はない。
 僕達のように、環境に合わせて身体を変えるのではなく、心の有りかた、自分の
 存在理由を、自らの意思で変えられるのはリリンだけだ。

 生きてさえいれば、いつか分かり合える時が来る。幸せになれる事もある、という事
 を分かってくれればいいけど」


 そう言って、カヲルはアスカの病室へ向かった。

 しかし、それを記すにはあまりに時間が無く、また、別の物語である。

 また、いつの日か書かれる事もあるかも知れないが、今はただ、雨の中で抱き合う
 シンジとレイの未来に光がある事を願いつつ、筆を置くことにする。


 <完>


 しかしカヲルのセリフは長い。こんなに長いセリフは初めてだ……。

 今回の話、色々と反論もあるでしょうが、これもまた一つの世界、作者なりの解釈の
 一つとして受け取って下さい。

 今はただ、劇場版予告ビデオの最後の言葉、

 「だめ、碇君が呼んでる」

 に、全ての希望を託している作者でした。

 (補足:劇場版とは、DEATH&REBIRTH シト新生の事です)


 [もどる]