新世紀エヴァンゲリオン-if-

 外伝 六 だんだん団らん大混乱


 シンジは夢と現実の間をさまよい、心地の良いうたた寝の状態だった。

 十四歳の少年にとって、この目覚めるまでのほんの一瞬の時は、何物にも代えがたい
 幸せの時だった。

 そんな時、どこからか自分の名前を呼ぶような声が聞こえてきた。それは、遠い遠い
 昔に聞いたことのあるような、とても懐かしい感じの声だった。

 そして、再び自分を呼ぶ声が聞こえ、シンジの意識は急速に覚醒を始めた。

 その時、右の頬に何か暖かいものが触れた気がして目を開けると、目の前に何か糸の
 ようなものがたくさん見えた。寝ぼけた頭では、それが髪の毛である事を認識する
 のに多少の時間を要した。

 そして、この右頬の感覚と、目の前の髪の毛が頭の中でまとまり、今の状況がやっと
 分かってきた。

 『誰かが、自分の頬にキスしている』

 それに気付いた瞬間、シンジは慌てて横に飛びのいていた。

 「か、か、母さん! これは一体……?」

 しかし、母さんと呼ばれた人物、碇ユイは、シンジの問い掛けには答えなかった。
 いや、答えたくても、感動の余り、何も話せないのである。

 「あの……母さん?」

 シンジは再び、恐る恐るユイに声を掛けた。

 「ああ。もう一度シンジに母さんって呼んでもらえるなんてし・あ・わ・せ。
 私は今、猛烈に感動している~~~!!

 ユイはそう言いながら、こぶしを握りしめ、涙を流していた。


 なぜこうなったかというと、話は一月前にさかのぼる。

 最後の使者を倒し、ロンギヌスの槍も無くなった。人類を、いや、シンジを脅かす者
 はもういない。そうなれば、ユイも安心して出てくるかも知れない。
 
 という訳の分からない理由で、ゲンドウが再びユイのサルベージ計画をスタート
 させた。

 そして三日前、奇跡的にサルベージが成功し、ユイは十一年振りに生き返る事が
 できた。なお、この時、レイにも劇的な変化が起きていた。もともとレイの出生
 にはユイが深く関わっていたらしく、ユイがサルベージされた時、ユイとレイの魂
 がシンクロし、二人とも丸一日気を失っていた。

 そして、目を覚ました時、レイは全ての記憶を取り戻し、ユイの影響からか感情も
 備わっていた。

 その後、二人の精密検査、戸籍の改ざん、情報操作、隠ぺい工作など、様々な事が
 行われた。

 そして、ゲンドウはあくまでユイとの二人だけの静かな生活を望んだが、ユイは

 「今までシンジの面倒を見られなかったんだから、そんな事はできない。絶対に
 シンジと一緒に住む。そして、レイも養子として引き取る」

 と言い張り、一歩も譲らなかった。愛するユイの頼みとあれば、いかにゲンドウと
 いえども断れず、渋々その条件を受け入れた。

 そして、ネルフの幹部用社宅にみんなで引っ越してきたのが、先日の夕方だった。

 その次の朝、ユイは『おはようのキス』でシンジを起こすという荒技にでていた。


 「あの……母さん、これは一体どういう……」

 「ん? そうね。シンジはまだ小さかったから覚えてないでしょうけど、私はいつも
 こうやってシンジを起こしてたのよ」

 「で、でも母さん、それは僕がまだ子供の頃の話だろ? 僕はもう十四だし……」

 「あら、私にとってシンジは、いつまでたってもかわいい子供よ」

 そう言って、ニッコリと微笑んだ。それはとても綺麗な微笑みだった。

 「で、でも母さん、こういうのはやっぱりまずいんじゃないかと……」

 シンジはとまどっていた。碇ユイ、戸籍上では三十八歳。しかし、初号機に取り込ま
 れたままの姿でサルベージされたので、外見的には二十七歳。はっきり言って、
 ミサトより若い。それに、年より若く見える顔のせいか、少し年の離れた姉といって
 も十分通用するほどだった。シンジにとっては、母親というより、美人の姉といった
 印象の方が強かった。

 そんな人物にいきなりキスされたので、シンジはとまどっていたのだ。

 「……そう。やっぱりシンジ、怒ってるのね」

 「え?」

 「そうよね。十一年もシンジをほったらかしにしてたんですもの、怒って当然よね。
 まして私は、三日前に生き返ったばかり。そんな人間にキスされたら、気持ち悪い
 わよね……」

 「そ、そんな事ないよ。僕は母さんにまたこうして会えて、一緒に暮らせて、本当に
 嬉しいよ!」

 「ほんと? シンジ、本当にそう思ってくれるの?」

 ユイは、目に涙を浮かべながら、シンジにそう尋ねた。

 「うん。本当だよ」

 「ああシンジ、何て優しいの……」

 そう言ってユイはシンジに抱きついた。

 「わ、わぁ~っ! 母さん! ちょっ、ちょっと!」

 シンジは慌ててジタバタしたが、しっかりとユイが抱きついているので離れられ
 なかった。

 そして、そんなじゃれ合っている(?)二人を見つめる、赤い瞳の少女がいた。

 「……碇君」

 「うわぁ~っっ! あ、綾波! ち、違うんだ。こ、これは、その、
 母さんが、だから、え~と……」

 「あら、レイちゃん。おはよう」

 「お、おはようございます……あの……」

 「私の事は、お母さんって呼んでね」

 「は、はい。お母さん」

 レイは少し照れながら答えた。

 「ああっ、十一年振りに目覚めてみたら、シンジは立派に成長して優しいし、こんな
 可愛い娘ができるなんて、私は何て幸せなの~!」

 碇ユイ、随分と感動しやすい性格のようである。

 「あ、それからレイちゃん。私たちは家族なんだから、シンジの事は『碇君』じゃ
 なくて、『シンジ』とか『お兄ちゃん』って呼んであげてね。それから、シンジも
 レイちゃんの事は『綾波』じゃなく、『レイ』と呼ぶのよ。今日から私たちは家族
 なんだから」

 シンジとレイは、突然の成り行きについていけなくなっていた。

 「ところでレイちゃん、こんな朝早くからシンジの部屋に何の御用かしら?」

 ユイは、にこやかな顔でそう聞いているが、普通に考えれば、隣の部屋でこれだけ
 大騒ぎをすれば、気になって見に来るのは当然である。もっとも、レイがシンジの
 部屋に来たのは、それだけが理由ではなかった。あまりに若いシンジの母に、シンジ
 を取られるのではないかという、少女なりの危機感が働いたためである。もちろん、
 ユイはそんな事は分かっていながら、レイに聞いているのだった。結構お茶目な人
 である。

 「あ……あの……私は……その……

 レイが答えられずにいると、ユイはクスッと笑い、話し始めた。

 「分かった! レイちゃん、シンジを起こしに来てくれたんでしょ?」

 「え?」

 「それなのに、私が先にシンジを起こしてたから怒ってるんでしょ。ごめんなさい
 ね。私も十一年振りにシンジを起こしてみたかったのよ。でも、明日からはレイ
 ちゃんに譲るわね。シンジはここにキスすると一回で起きるから、そうやって起こ
 してあげてね」

 そう言って、シンジの頬を指差す。レイは見る見るうちに真っ赤になった。

 「か、母さん! 何言ってんだよ!!」

 シンジも赤くなりながら抗議をするが、ユイは余裕だった。

 「照れる事ないじゃない。あなたたち、お互いに好き合ってるんでしょ?」

 「なっ?!」

 「えっ?!」

 「私は初号機やってたから、シンジが溶けたときにシンジの考えてる事は分かった
 わ。それと、サルベージされた時に、レイちゃんの魂とシンクロしたから、レイ
 ちゃんの考えてる事も知ってるのよ。だから、母親に隠し事なんかしちゃダメよ」

 恐るべし碇ユイ。彼女の前に、二人のプライバシーは存在しない。

 「あ、それから、家族といってもレイちゃんは養子扱いで、血も繋がってないんだ
 から、二人の結婚には何の問題も無いわよ」

 その言葉を聞き、二人はさらに赤くなり、うつむいてしまった。

 「うふふ。本当に二人とも可愛いわね。……さぁ、食事の支度ができてるから、二人
 とも顔を洗っていらっしゃい」

 そう言うと、ユイはとても楽しそうに部屋から出ていった。

 「あの……お母さんって、ああいう人なの?」

 「僕も初めて知ったんだ。父さん、何も教えてくれなかったし……」

 二人は、ボーゼンとユイの出ていった入口を見つめていた。

 「碇君の事、何て呼べばいい?」

 「困ったね。僕も綾波の事、何て呼べばいいんだろう……」

 「私は。シンジ……お兄ちゃんかな」

 「じゃあ、僕は……レ……レイって呼べばいいのかな……。なんか、テレるな」

 「そ、そうね」

 「でも、そのうち慣れるよ。……じゃあ、顔を洗いに行こうか……レイ」

 「う、うん。お兄ちゃん」

 二人が顔を洗い、キッチンへ行くと、すざましい量の料理が並んでいた。

 「あの……これは?」

 「すごい」

 「ああこれ? 私は大の料理好きだし、愛する人たちのために作れると思うと、つい
 張りきっちゃったの。どんどん食べてね」

 「う、うん。じゃあ、いただきます」

 「いただきます」

 そう言って、二人は料理を口に運ぶ。シンジにとってその味は、どこか懐かしい感じ
 がして、涙が出そうになった。

 「美味しいよ、母さん! 本当に美味しいよ!」

 「ええ、本当に美味しい」

 「ああ、美味しいよ、ユイ」

 ゲンドウは照れているのか、新聞で顔を隠したままだった。

 「母さん。明日から僕も手伝おうか? 料理を教えて欲しいし、母さんの手伝いが
 したいし」

 「あ、私も手伝います」

 「ああ、何て優しいの、あなたたち。愛する人たちに囲まれて過ごせるなんて、私は
 世界一の幸せ者だわ! 私は、こういう一家団らんをず~~~っと夢見てたのよ」

 「ああ、そうだな、ユイ」

 相変わらず、新聞で顔を隠したまま答えるゲンドウだった。

 「そうだわ。今日は家族みんなでお買い物に行きましょう。身の回りの物も揃えな
 きゃいけないし、レイちゃんの服とかも買わなくっちゃね」

 「え? 私は別に……」

 「だめよ、レイちゃん。年頃の女の子なんだから、もっとおしゃれしなくちゃ。で
 ないと、シンジに嫌われちゃうわよ」

 「え?」

 ぶはっ! か、母さん!!」

 シンジは、口の中の物を吐き出しそうになるほど慌てていた。

 「シンジに嫌われたくないんでしょ、レイちゃん」

 「…………はい」

 「え……レイ」

 「あら~、もうレイって呼んであげてるのね。偉いわよシンジ」

 二人して真っ赤になるのを、ユイは面白そうに見つめていた。

 「じゃあ決定ね。今日は家族でお買い物」

 「待てユイ、それは私も行くのか?」

 「当たり前です。『家族で』と言ったでしょ」

 ゲンドウは、自分が家族連れで買い物をしている姿を想像しようとしたが、全く
 イメージが浮かんでこなかった。おそらく、死ぬほど似合わないだろう。

 シンジとレイも、同様に想像しようとしたが、途中で挫折した。

 「私は行かん。お前たちだけで行ってきなさい」

 「あなた!」

 「行かんと言ったら、行かん!」

 「そうですか」

 「ああ」

 「……赤木博士」

 ギクゥ!!!!

 「な、な、何の事だ、ユイ?」

 ゲンドウは平静を装うとしたが、声は裏返り、新聞はカサカサと音を立てていた。

 じぃ~~~~~~

 ユイは、ずっとゲンドウを見つめていた。

 「わ、分かった! 買い物だな。どこにでも連れていってやるぞ。シンジ、レイ、
 欲しい物があったら言いなさい。何でも買ってやるぞ」

 「それでこそ、一家の大黒柱です」

 「は、ははははは。ま、任せろ」

 そんな二人を、シンジとレイはボーゼンと見ていた。

 『あの父さんがこんなに怯えるなんて……いったい母さんって……』

 『あの碇司令がこんなになるなんて……お母さんっていったい……』

 そんな二人の視線を感じながら、ゲンドウはうつむいていた。

 『うう~、こんな姿だけはシンジやレイには見せたくなかった……。
 シンジ、早く一人前になって家を出ろ。何なら、今すぐレイと結婚してもいいぞ。
 な~に、家くらいすぐに建ててやる。
 私はユイと二人だけで静かに暮らしたいんだ~!』

 しかし、ゲンドウのささやかな望みは当分叶う事は無いだろう。なぜなら、ユイは
 他人の恋愛に首を突っ込むのが大好きな性格で、ましてそれが自分の子供となれば
 気合を入れて首を突っ込み、別居などは考えもしないだろうから。

 もし万が一、二人が家を出ても、その頃には新たな家族ができているはずである。
 ゲンドウは自分の性格を良く知っている。おそらく、子供の二人や三人くらいは、
 すぐにできてしまうだろう。

 ゲンドウは、自分が幸せなのか不幸なのか、分からなくなっていた。

 『確かに、ユイが生き返って嬉しい。それは本当だ。しかし、ユイは自分の妻として
 ではなく、家族の母親である事を望んだ』

 更に、ユイはゲンドウと赤木博士との事を知っているので、弱みを握られたゲンドウ
 は、ユイに主導権を譲らざるを得なかった。

 これまでゲンドウは、自分の目的のために、他人の幸せなど考えず、多くの人々を
 不幸にしてきた。しかし今は、ゲンドウの不幸の上に三人の幸せがある。

 ユイは、愛する夫、愛する子供たちに囲まれて幸せだった。

 シンジも、母と(ついでに父も)一緒に暮らせて嬉しかったし、こんなに近くに
 レイがいる事が幸せだった。

 レイも、父親と母親ができ、大好きなシンジと共に生活できるのが幸せだった。

 これまでの因果応報からか、ゲンドウの不幸(はた目にはそうは見えないが、本人
 はそう思っている)の上に三人の幸せが成り立つという構図になっていた。


 ま、ゲンドウが不幸になっても悲しむ読者はいないだろうし、三人が幸せなら、
 それでいいやという事で、この話は<おしまい>

 なお、何も考えずに書いたので、続編の構想は全くありません。気が向いたら書く
 かも知んないけど。


 アスカ 「ちょっと! また私の出番が無いじゃないの! どうなってんのよ!」


 新世紀エヴァンゲリオン-if- 外伝 六

 だんだん団らん大混乱 <完>


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